淡彩花鳥
日根対山
日根対山 ひなたいざん (1813〜1869) 名は盛長、字を成言、小年、対山など。
幼い頃より絵を好み土佐派に学んだがのちに 南画を岡田半江、書を貫名菘翁に師事。 大阪和泉佐野の豪商で文人としても知られる。 里井浮丘の庇護を受け中国絵画の臨模などで画業を磨いた。 29歳で京都に移り、梁川星巌、藤本鉄石中西耕石らと親交を結ぶ。
軸寸(軸先まで) 216×78 画寸 144×58