
作品名
月鈴虫
作家名
浮田一惠斎 羽田野敬雄賛
作家略歴
政7年(1795年)〜安政6年(1859年)、京都生まれ、幕末の画家。姓は宇喜多とも書く。名は公信、のち可為(よしため)。絵ははじめ田中訥言に学び、当時沈滞していた大和絵の復興に努め、情緒豊な画風の絵を描く。また雪舟や狩野探幽にも私淑していた。また和歌・書道にも通じ、京都で活躍した。幕末においては土佐、住吉諸派よりも本格的に大和絵を理解しており、復古大和絵の祖といわれた訥言の後を引き継いだ画家である
羽田野 敬雄(はだの/はたの たかお、1798年3月30日〈寛政10年2月14日〉 - 1882年〈明治15年〉6月1日)は、三河国宝飯郡西方村(現・愛知県豊川市御津町西方)出身の皇学者・神職。旧姓は山本。通称として常陸(ひたち)や栄木(さかき)などがある[1]。
平田篤胤門下の皇学者であり、なおかつ神職だった。明治政府の神仏分離令によって生じた廃仏毀釈運動の推進者であり、神職の地位向上に貢献した[1]。近代的図書館活動の先駆者でもあり、自らの蔵書を元に設立した「羽田八幡宮文庫」を一般市民に広く公開した[2]。
商品詳細
軸寸(軸先まで)167×41 画寸(紙本)114×30 箱=合箱