富士山之図
野呂介石
江戸後期の南画家。紀州生。名は隆、のち第五隆と称する。字は隆年・松齢、別号に矮楳・混斎・十友窩等。初め桑山玉洲に学び、のち池大雅の門に入る。47才で紀州藩に召され絵師となる。那智瀑布図を得意とし、また竹石にも妙を得た。世に長町竹石・僧愛石と共に三石と称される。文政11年(1828)歿、82才。
軸寸(軸先まで)131×92 画寸(絹本)50×81 箱=合箱